本当の答えは己の中にあるのかもしれない。

職場のトイレで、個室でで踏ん張っていると隣のブースにどなたかがイン。
彼か、彼なのか。ここ数カ月、何度か出くわす彼。
やはり彼だ。間違いない。
彼はブースに入るなりスイッチを押すのだ。ウォッシュレットの。
まあ、とりあえず綺麗にしたいという人もいるかもしれない。まずは洗い流すのだ。それまでになにか悲しい物語があったとかで。
でも彼は違う。ウォッシュレットを作動させたまま力むのだ。僕はとなりでそのウォッシュレットの水音と、かれのいきむ声を聞かせられ、これまでも何度か困惑させられてきた。
うっかり我がベン・アフレックも停滞だ。いまやベン・スティーラーである。


僕は彼にいつか聞きたい。どうなっているのかと。どういう仕組みなっているのか?顧みないのか?と。
難しいのは、その彼は僕の近くにいる可能性が高いということだ。
うっかり事務所で彼について話したとき、話している上司がその彼である可能性もあるのだ。いや、本当に真実が知りたいのであれば、それも必要かもしれない。


でもひょっとすると、そのベンジャミン・バトンのスタイルこそ正しい姿なのかもしれない。何が正しいのかは、僕にはわからないからだ。